2013年8月17日
相変わらずの酷暑。市川市だけなのかわからないが、やたらと風が吹く。しかし、クーラーのような涼しい風ではない・・・。残念ながら。
今朝方、ブツ(拙著『黒田官兵衛・長政の野望 ―もう一つの関ヶ原―』角川選書))が届く。最近は慣れてしまったのか、新刊書が送られてきても、「やったー!!!」という新鮮な喜びに欠けているきらいがある。最近は、ボロボロになった雑巾のような体たらくで、新刊が出た段階では、次の本の校正に入っており、さらにその次の本の執筆にかかっている。そして、その次の次の本のために、文献や史料を集めている。フレッシュさを忘れないことが重要だ。
ところで、大学院の修士課程に行っていた頃、研究のテーマについて「重箱の隅をつついたようなつまらん研究はいらん」とよくいわれた。研究テーマの選び方としては、
①壮大なテーマ(日本の中世国家とは何か? 戦国大名とは何か? とか)を設定し、とりあえずその部分について考えてみる
②最初から個別のテーマ(特定の戦国大名や寺院とか)を設定して追究してみる
ということになるのか? むろん先行研究や史料の多寡が問題になろう。おそらく誰しもが①を志向しつつも、一度に完成しないので、とりあえず②でがんばってみるのだが、結局、特定のテーマに収斂してしまうのか? たとえば、ある戦国大名をテーマとして取り上げ、網羅的に研究すると、どんどん精度はあがっていって、いろいろなことがわかってくる。新発見を短い研究ノートでたくさん執筆される方もいる。中には、注で触れたらいいんじゃないかというものもあるような気がするが。ついでにいうと、「短いしょうもないことを書くな」ともよくいわれた。せめて50~70枚くらいのまとまりのあるものを書けと。
昔は発表媒体が少なかったので、そうしたものは発表しづらかったのか? 花押の編年や発給文書の一覧は、おそらく手控えの資料だったのだろうが、だんだん論文として認知されるようになったのか? 「●●氏の基礎的研究」というのも同じなのだろうか? このようなことは、そもそも自分が論文を書くための基礎作業なのか? ただ、こうした基本的な事柄を共有できることは、いいことなのだろう。一方で、それしかやらない人もいるので、それはそれで何か問題がありそうな気がするが。
結局、私は壮大な研究をものにすることもなく(そもそもそういう能力がない)、重箱の隅すらつつけなかった。できれば若い人には、壮大な論文を書いて欲しいものだ。人生の終焉を迎えつつあるオッサンの遺言でもある・・・。
『十六世紀史研究』と『年報赤松氏研究』のご購読をお願い申し上げます(これも遺言)。
今朝方、ブツ(拙著『黒田官兵衛・長政の野望 ―もう一つの関ヶ原―』角川選書))が届く。最近は慣れてしまったのか、新刊書が送られてきても、「やったー!!!」という新鮮な喜びに欠けているきらいがある。最近は、ボロボロになった雑巾のような体たらくで、新刊が出た段階では、次の本の校正に入っており、さらにその次の本の執筆にかかっている。そして、その次の次の本のために、文献や史料を集めている。フレッシュさを忘れないことが重要だ。
ところで、大学院の修士課程に行っていた頃、研究のテーマについて「重箱の隅をつついたようなつまらん研究はいらん」とよくいわれた。研究テーマの選び方としては、
①壮大なテーマ(日本の中世国家とは何か? 戦国大名とは何か? とか)を設定し、とりあえずその部分について考えてみる
②最初から個別のテーマ(特定の戦国大名や寺院とか)を設定して追究してみる
ということになるのか? むろん先行研究や史料の多寡が問題になろう。おそらく誰しもが①を志向しつつも、一度に完成しないので、とりあえず②でがんばってみるのだが、結局、特定のテーマに収斂してしまうのか? たとえば、ある戦国大名をテーマとして取り上げ、網羅的に研究すると、どんどん精度はあがっていって、いろいろなことがわかってくる。新発見を短い研究ノートでたくさん執筆される方もいる。中には、注で触れたらいいんじゃないかというものもあるような気がするが。ついでにいうと、「短いしょうもないことを書くな」ともよくいわれた。せめて50~70枚くらいのまとまりのあるものを書けと。
昔は発表媒体が少なかったので、そうしたものは発表しづらかったのか? 花押の編年や発給文書の一覧は、おそらく手控えの資料だったのだろうが、だんだん論文として認知されるようになったのか? 「●●氏の基礎的研究」というのも同じなのだろうか? このようなことは、そもそも自分が論文を書くための基礎作業なのか? ただ、こうした基本的な事柄を共有できることは、いいことなのだろう。一方で、それしかやらない人もいるので、それはそれで何か問題がありそうな気がするが。
結局、私は壮大な研究をものにすることもなく(そもそもそういう能力がない)、重箱の隅すらつつけなかった。できれば若い人には、壮大な論文を書いて欲しいものだ。人生の終焉を迎えつつあるオッサンの遺言でもある・・・。
『十六世紀史研究』と『年報赤松氏研究』のご購読をお願い申し上げます(これも遺言)。
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