2014年5月9日 消滅可能性
晴れ。今日は近所の大野公民館で講演。近いのが一番だ。
STAP細胞にしても、韓国の沈没した船にしても、相変わらず釈然としないことが多い。とにかく、すっきりとしてほしいものだ。
先日、『日本の奨学金はこれでいいのか! 奨学金という名の貧困ビジネス』(あけび書房)という本を読んだ。以前、NHKでも特集を組んでいたので、この問題は多くの人の関心をよんでいる。
私は奨学金を借りていなかったのだが、これは身につまされる問題である。一文無しの若者に対して、延滞金を含めた高額な支払いを強要し、なお一歩も引かないというのには驚いてしまった。サラ金も闇金もビックリということらしい。私が働いていたときは、旧日本育英会のずさんな奨学金の回収システムに驚いたが、こうも正反対に振り子が振れてしまうのか。困った人は、とにかく相談窓口に飛び込んで欲しいということだった(特に、支援団体の窓口)。
そして、今朝の新聞では「消滅可能性のある自治体」が話題になっていた。「子どもを産む人の大多数を占める「20~39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減ること」が指標になっており、896自治体が該当する。これは深刻な問題である。千葉県でいうならば、千葉市より東の地域がかなり該当する。そうなると地方自治も成り立たなくなり、大都市に人口が集中することが懸念されるとのこと。特に、地方都市が深刻だ。
「消滅可能性」といえば、自分自身のことが一番心配だ。消滅しないように、今日もがんばらなくてはいけない。
昼のニュースを見ていると、レツゴー三匹のじゅんさんが亡くなったと報道されていた。レツゴー三匹といっても、子供の頃の漫才番組で見た記憶があるくらいで、ほどんど忘れていた存在であった。意外と若いと思ったので(68歳)、大変驚いた。今や漫才は芸として成り立たず、漫才師はMCと称する司会や内輪の暴露話か、はたまた高学歴の者はクイズ番組の解答者になるしかない。食うためには仕方がないので、理解はできる。こうなると、漫才師といえないかもしれない。
父は漫才や落語が好きであったが、晩年は「漫才がおもしろくない」とこぼしていた(漫才の番組も少なくなっていた)。お正月にいっしょに漫才番組を見たが、父も母も笑うことなく憮然として、「おもしろくない」という(私も同感だった)。笑いのツボが違うといえばそれまでだが、もはや伝統文化として成り立たないのか。サクラの笑いが悲しく響いた。昔の漫才ブームのような、おもしろい漫才を期待したいものである。
笑いは大切である。かつては、学校でも職場でも笑いがあった。いやなことがあっても、笑い飛ばす勢いがあった。しかし、世相が暗くなるにつれ、笑いがなくなり、すべてがマイナス方向に傾きつつある。成功者を妬み、人の失敗をあざけるなどは、その典型例であろう。そういえば、最近笑わなくなったな。笑われることがあっても。とにかく、世の中が明るい笑いで包まれることを願うばかり。
STAP細胞にしても、韓国の沈没した船にしても、相変わらず釈然としないことが多い。とにかく、すっきりとしてほしいものだ。
先日、『日本の奨学金はこれでいいのか! 奨学金という名の貧困ビジネス』(あけび書房)という本を読んだ。以前、NHKでも特集を組んでいたので、この問題は多くの人の関心をよんでいる。
私は奨学金を借りていなかったのだが、これは身につまされる問題である。一文無しの若者に対して、延滞金を含めた高額な支払いを強要し、なお一歩も引かないというのには驚いてしまった。サラ金も闇金もビックリということらしい。私が働いていたときは、旧日本育英会のずさんな奨学金の回収システムに驚いたが、こうも正反対に振り子が振れてしまうのか。困った人は、とにかく相談窓口に飛び込んで欲しいということだった(特に、支援団体の窓口)。
そして、今朝の新聞では「消滅可能性のある自治体」が話題になっていた。「子どもを産む人の大多数を占める「20~39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減ること」が指標になっており、896自治体が該当する。これは深刻な問題である。千葉県でいうならば、千葉市より東の地域がかなり該当する。そうなると地方自治も成り立たなくなり、大都市に人口が集中することが懸念されるとのこと。特に、地方都市が深刻だ。
「消滅可能性」といえば、自分自身のことが一番心配だ。消滅しないように、今日もがんばらなくてはいけない。
昼のニュースを見ていると、レツゴー三匹のじゅんさんが亡くなったと報道されていた。レツゴー三匹といっても、子供の頃の漫才番組で見た記憶があるくらいで、ほどんど忘れていた存在であった。意外と若いと思ったので(68歳)、大変驚いた。今や漫才は芸として成り立たず、漫才師はMCと称する司会や内輪の暴露話か、はたまた高学歴の者はクイズ番組の解答者になるしかない。食うためには仕方がないので、理解はできる。こうなると、漫才師といえないかもしれない。
父は漫才や落語が好きであったが、晩年は「漫才がおもしろくない」とこぼしていた(漫才の番組も少なくなっていた)。お正月にいっしょに漫才番組を見たが、父も母も笑うことなく憮然として、「おもしろくない」という(私も同感だった)。笑いのツボが違うといえばそれまでだが、もはや伝統文化として成り立たないのか。サクラの笑いが悲しく響いた。昔の漫才ブームのような、おもしろい漫才を期待したいものである。
笑いは大切である。かつては、学校でも職場でも笑いがあった。いやなことがあっても、笑い飛ばす勢いがあった。しかし、世相が暗くなるにつれ、笑いがなくなり、すべてがマイナス方向に傾きつつある。成功者を妬み、人の失敗をあざけるなどは、その典型例であろう。そういえば、最近笑わなくなったな。笑われることがあっても。とにかく、世の中が明るい笑いで包まれることを願うばかり。
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