2014年5月10日 暗い世相
晴れ。今日は史跡見学会。11名の参加。楽しみである。
表題の暗い世相。現代社会は、何かにつけ「減点主義」である。できて当たり前で、仮にできたとしても、褒められることはない。1990年代から企業に導入された成果主義も同じであり、方法はいろいろらしいが、減点主義でないと成り立たないのは確かだ(総人件費が上昇するので)。結局は、「人の好き嫌い」で判断される傾向にある。こういうことが徹底されると、仕事の中身が評価されているとはいいながらも、結局は人格否定につながり、精神が病んでいく。誠に恐ろしい時代になったものだ。
仕事でも何でもそうであるが、「褒め7割・8割に対して、助言3割・2割」でいきたいものだ。褒めることによって、人はやる気を出し、有益な助言を与えることで成長するものである。
ところが、現実はいささか違うようだ。
私が知ったある若い研究者は、ある先輩に強い嫌悪感を抱いていた。理由を尋ねると、ろくに論文を書いたこともないのに、がんばって論文を書き、実績を挙げた後輩をいじめるというのだ。「この程度でつけあがるなよ」とか。また、論文をほとんど書かないのに、論文の書き方と称して、後輩に「論文指導」をするとのこと。そのくせ、偉い先生や先輩にはペコペコしているらしい。唯一の誇りは人脈があるとかで、たくさんの著名な研究者を知っているだけ。誠にミジメとしかいいようがない。
以前、かくなる私も、陰で悲惨な目に遭ったことがある。私が「物書き」で「歴史で汚い金儲け」をしていることが気に入らず、私を排除しようとあっちこっちに私の悪口を言う人がいた。「物書き」であるのは事実であるが、「歴史で汚い金儲け」をしているというのは事実無根である。儲けたいのはやまやまだが、そうは簡単にいかないし、法に触れるような悪いことをしているわけではない。
実際は「歴史の本を書いて辛うじて生活している」というのが正しい。私はその人と1回しか会ったことがなく、私が何か不快な思いをさせた記憶はないのであるが、何の根拠もなく、そのように一方的な嘘を撒き散らしていたのである。その話をある方から聞いたとき、非常に驚いた。歴史の研究をしているのなら、ちゃんと根拠を示して欲しいものである。
世の中には偏見も多いが、少なからず助けてくれる人がいる。それが唯一の救いである。私自身も楽して本を書けるとは思っていない。編集者の方と企画を相談し、執筆テーマを決めるのであるが、これが第一関門である。そのために資料(著書、論文、史料)集めをし、できるだけ良いテーマをということになる。人に「本を買ってください」とお願いしているのだから、できるだけ新本、古本問わず買うように心掛けている。
ただ、残念なことに、自分がテーマとしている赤松氏などが本になることはまずない(売れ行きが期待できないので)。必然的に話題性のあるテーマになる。出版社も慈善事業でやっていないので、それは当然のことだ。書き出すと、朝から晩までかかりきりである。編集者の方もそれが仕事の業績になるので、私も暢気なことはいってられない。まさしく一蓮托生である。
別に「同情してください」とはいわないが、妙な偏見を持って、あっちこっちに根拠のない悪口を言いふらすのは止めてほしいものだ。特に、一般の人よりも、研究をしている人のほうがその傾向が強いように思う。ホセ・オルテガ・イ・ガセトの指摘していることは、どうやら正しいようだ。
表題の暗い世相。現代社会は、何かにつけ「減点主義」である。できて当たり前で、仮にできたとしても、褒められることはない。1990年代から企業に導入された成果主義も同じであり、方法はいろいろらしいが、減点主義でないと成り立たないのは確かだ(総人件費が上昇するので)。結局は、「人の好き嫌い」で判断される傾向にある。こういうことが徹底されると、仕事の中身が評価されているとはいいながらも、結局は人格否定につながり、精神が病んでいく。誠に恐ろしい時代になったものだ。
仕事でも何でもそうであるが、「褒め7割・8割に対して、助言3割・2割」でいきたいものだ。褒めることによって、人はやる気を出し、有益な助言を与えることで成長するものである。
ところが、現実はいささか違うようだ。
私が知ったある若い研究者は、ある先輩に強い嫌悪感を抱いていた。理由を尋ねると、ろくに論文を書いたこともないのに、がんばって論文を書き、実績を挙げた後輩をいじめるというのだ。「この程度でつけあがるなよ」とか。また、論文をほとんど書かないのに、論文の書き方と称して、後輩に「論文指導」をするとのこと。そのくせ、偉い先生や先輩にはペコペコしているらしい。唯一の誇りは人脈があるとかで、たくさんの著名な研究者を知っているだけ。誠にミジメとしかいいようがない。
以前、かくなる私も、陰で悲惨な目に遭ったことがある。私が「物書き」で「歴史で汚い金儲け」をしていることが気に入らず、私を排除しようとあっちこっちに私の悪口を言う人がいた。「物書き」であるのは事実であるが、「歴史で汚い金儲け」をしているというのは事実無根である。儲けたいのはやまやまだが、そうは簡単にいかないし、法に触れるような悪いことをしているわけではない。
実際は「歴史の本を書いて辛うじて生活している」というのが正しい。私はその人と1回しか会ったことがなく、私が何か不快な思いをさせた記憶はないのであるが、何の根拠もなく、そのように一方的な嘘を撒き散らしていたのである。その話をある方から聞いたとき、非常に驚いた。歴史の研究をしているのなら、ちゃんと根拠を示して欲しいものである。
世の中には偏見も多いが、少なからず助けてくれる人がいる。それが唯一の救いである。私自身も楽して本を書けるとは思っていない。編集者の方と企画を相談し、執筆テーマを決めるのであるが、これが第一関門である。そのために資料(著書、論文、史料)集めをし、できるだけ良いテーマをということになる。人に「本を買ってください」とお願いしているのだから、できるだけ新本、古本問わず買うように心掛けている。
ただ、残念なことに、自分がテーマとしている赤松氏などが本になることはまずない(売れ行きが期待できないので)。必然的に話題性のあるテーマになる。出版社も慈善事業でやっていないので、それは当然のことだ。書き出すと、朝から晩までかかりきりである。編集者の方もそれが仕事の業績になるので、私も暢気なことはいってられない。まさしく一蓮托生である。
別に「同情してください」とはいわないが、妙な偏見を持って、あっちこっちに根拠のない悪口を言いふらすのは止めてほしいものだ。特に、一般の人よりも、研究をしている人のほうがその傾向が強いように思う。ホセ・オルテガ・イ・ガセトの指摘していることは、どうやら正しいようだ。
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