2014年9月25日 昔はむちゃくちゃだった⑦
雨模様。名古屋は大変だったようだ。昨日は張り切りすぎたのか(過去の仕事)、それが裏目に出たことが判明した。誠に情けないことだった。
昔はむちゃくちゃだったの⑦である。食堂の話題だ。
小中学校は、給食ではなかった(横浜の小学校だけ)。高校になると、食堂を利用するようになった。とにかくよく食った。焼きそばがおいしかったが、ほかに変わったことはなかった。
大学に入学すると、生協が運営する食堂を利用した。ここも特段思い出はないが、「カレーがまずい」との意見をよく見た。たぶん、味が多少独特で、家で食べるハウスバーモント・カレーなどと違っているので、苦情が出たのか? ほかに三田屋(ステーキ)などがあったが、ボンビー学生には高嶺の花であった。今は、どうなっているのかわからない。
働き出すと生協はなく、個人商店などが運営していた。むしろ、こっちのほうが記憶に残っている。
ある食堂の「てんぷらうどん」は、エビが小指の先ほどの大きさで、衣で大きくふくらましていた。「衣うどん」だった。ある意味で、職人芸だったといえる。ここの卵は、SSサイズとウズラ卵の中間くらいの大きさだった。たぶん、規格外のものを安く仕入れていたのだろう。また、「焼肉どんぶり」は、玉ねぎがたくさん入っていて、くず肉が混じっている程度だった(焼肉のタレはたくさんかかっていた)。「焼肉のたれどんぶり」だった。「カツ」は「トンカツ」ではなく、「チキンカツ」だったが、たしか混同してメニュー表示していたような気がする(カツカレーとは、正確にいえばチキンカツカレーのことだろう)。「酢豚」も「酢鳥」だった。豚は鳥よりも高い。
あるとき「うな丼」がメニューになっていたが、いざ食べてみると、塩昆布みたいな大きさのうなぎが入っており、うな丼のタレが大量にかかっていた。「うなぎのタレどんぶり」。サービスが裏目に出た感じ。ある食堂の親子丼は、あらかじめだしと卵を溶いたものをご飯にかけ、味のついた鶏肉をぱらぱらと振っていた。学生曰く「ゲロ丼」。すべてインスタント食品という食堂もあった。できあがると「チーン」とレンジの音がした。
でも安かったので、仕方がない。今はどうなっているのかわからないが、食堂の味も重要なので、少しは変わっているかもしれない。まあ、どっちでもいいが。
その後、別の職場に移ったが、そこはおばちゃんが「男の人はたくさん食べんといけん」と言って、頼みもしないのにいつも超大盛りだった。なので、品切れになる時間が早かったようだ(在庫を残さないため?)。
いずれにしても、安くするために、羊頭狗肉というか、反則すれすれだったのが懐かしい。まあ、むちゃくちゃだった。また、食べてみたいものだ。たぶん、もう2度と行くことはないと思うが。
拙著『戦国・織豊期 赤松氏の権力構造』(岩田書院)が10月に刊行されます。予価2,900円(税別)です。買ってください! それしか言いようがございません・・・。
↑ ちなみに、この本で「戦国史研究叢書」「中世史研究叢書」「岩田選書◎地域の中世」の三冠王を達成(史上二人目)。次は、「近世史研究叢書」でグランドスラムを目指す。
昔はむちゃくちゃだったの⑦である。食堂の話題だ。
小中学校は、給食ではなかった(横浜の小学校だけ)。高校になると、食堂を利用するようになった。とにかくよく食った。焼きそばがおいしかったが、ほかに変わったことはなかった。
大学に入学すると、生協が運営する食堂を利用した。ここも特段思い出はないが、「カレーがまずい」との意見をよく見た。たぶん、味が多少独特で、家で食べるハウスバーモント・カレーなどと違っているので、苦情が出たのか? ほかに三田屋(ステーキ)などがあったが、ボンビー学生には高嶺の花であった。今は、どうなっているのかわからない。
働き出すと生協はなく、個人商店などが運営していた。むしろ、こっちのほうが記憶に残っている。
ある食堂の「てんぷらうどん」は、エビが小指の先ほどの大きさで、衣で大きくふくらましていた。「衣うどん」だった。ある意味で、職人芸だったといえる。ここの卵は、SSサイズとウズラ卵の中間くらいの大きさだった。たぶん、規格外のものを安く仕入れていたのだろう。また、「焼肉どんぶり」は、玉ねぎがたくさん入っていて、くず肉が混じっている程度だった(焼肉のタレはたくさんかかっていた)。「焼肉のたれどんぶり」だった。「カツ」は「トンカツ」ではなく、「チキンカツ」だったが、たしか混同してメニュー表示していたような気がする(カツカレーとは、正確にいえばチキンカツカレーのことだろう)。「酢豚」も「酢鳥」だった。豚は鳥よりも高い。
あるとき「うな丼」がメニューになっていたが、いざ食べてみると、塩昆布みたいな大きさのうなぎが入っており、うな丼のタレが大量にかかっていた。「うなぎのタレどんぶり」。サービスが裏目に出た感じ。ある食堂の親子丼は、あらかじめだしと卵を溶いたものをご飯にかけ、味のついた鶏肉をぱらぱらと振っていた。学生曰く「ゲロ丼」。すべてインスタント食品という食堂もあった。できあがると「チーン」とレンジの音がした。
でも安かったので、仕方がない。今はどうなっているのかわからないが、食堂の味も重要なので、少しは変わっているかもしれない。まあ、どっちでもいいが。
その後、別の職場に移ったが、そこはおばちゃんが「男の人はたくさん食べんといけん」と言って、頼みもしないのにいつも超大盛りだった。なので、品切れになる時間が早かったようだ(在庫を残さないため?)。
いずれにしても、安くするために、羊頭狗肉というか、反則すれすれだったのが懐かしい。まあ、むちゃくちゃだった。また、食べてみたいものだ。たぶん、もう2度と行くことはないと思うが。
拙著『戦国・織豊期 赤松氏の権力構造』(岩田書院)が10月に刊行されます。予価2,900円(税別)です。買ってください! それしか言いようがございません・・・。
↑ ちなみに、この本で「戦国史研究叢書」「中世史研究叢書」「岩田選書◎地域の中世」の三冠王を達成(史上二人目)。次は、「近世史研究叢書」でグランドスラムを目指す。
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