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2014年11月25日 高倉健伝説

 曇りのち雨。さあ、今日もがんばろう。

 先週、高倉健さんの訃報が広まると、テレビでは追悼番組や出演映画が立て続けに放映された。世間的には、「誠実な男の中の男」というイメージが強く、人気が高い。何より、ほぼ映画にしか出演せず、プライベートが知られていないというのが、いっそう効果をもたらしているのだろう。それにしても、関係者にインタビューをすると、すべてが賞賛の言葉ばかりで、こんな人いるのかというほど良い人だ。

 私は、さすがに昔の仁侠映画こそ見ていないが(父の世代は仁侠映画)、やはりいくつかの映画は記憶に残っている。あまり評価はされていないが、角川映画全盛期の「野性の証明」も好きな映画だ。むしろ、80年代以降の市井の人を演じているのが、概して好評なのかもしれない。

 ところで、近現代史は史料が豊富にもかかわらず、逆にあまりに多すぎるのか、面倒なことが多い。今では、オーラルヒストリーも盛んに行われているし、当事者が回顧録を出版することも珍しくない。しかし、問題点も多い。たとえば、従軍慰安婦問題については、まさか当事者が嘘の証言をし、それをもとに本を出版するなんて、誰も思わないだろう(仮に、記憶違いなどがあったにしても)。どうしても性善説になってしまう。

 要するに、どの史料を使うかによって、まったく人物や事件の評価が異なるわけである。最近出たある本も、内容が問題視されているが、それは一方の当事者の言葉を鵜呑みにして、公平性を欠いているからである。人物や事件を見るとき、できるだけ多くの史料に接し、史料批判を行い、多角的に見ることが必要だ。

 私も自分で戦国の勉強をしているが、論文(みたいなもの)を書くときは、当たり前だが、一次史料に依拠する。二次史料は、参考程度の扱いになって、それを根拠とすることはほぼない。二次史料は、さっきの話ではないが、書かれた意図や成立の背景があり、どうしてもさまざまなバイアスがかかっている。たしかに、一次史料と符合する点が多ければ、「良質な二次史料」と評価できるかもしれない。しかし、一次史料で裏付けられない記述までも担保するものではない。

 したがって、ある二次史料を一次史料と符号する点が多いので良質な史料と評価し、一次史料と同等に扱うことには違和感がある。成立年が早い、遅いということも、さほど意味はなさない。「某家に伝わる由緒正しいもの」というのもあるが、それは某家を際立たせる記述が多いものだ。多くの学術論文で、ほとんど二次史料を用いないのは、そういう事情があるからだろう。

 ただ、通史的なものや一般書については、「断り」を入れたうえで、使わざるを得ない(というか、紹介せざるを得ない)。合戦の様子は軍記物語でしかわからないこともあるし、さまざな俗説的なものも(批判的に)取り上げざるを得ないだろう。そこが学術論文とは違うところだ。

 大河ドラマ『軍師官兵衛』批評を更新しました。こちら

 読みやすくする工夫の追加。

・5~8行程度で改行する。ただし、1・2行おきとか改行しすぎると、俳句みたいな本になってしまう。
・平仮名を多用する。漢字が多いと、抵抗感がある人もいるので。
・私はあまりやらないが、章の冒頭にサマリーをつけると、効果的なこともある。

 他にもあるのだが、また思い出したら。
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プロフィール

渡邊大門(わたなべ だいもん)

  • Author:渡邊大門(わたなべ だいもん)
  • 1990年3月関西学院大学文学部史学科卒業
    2008年3月佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了 博士(文学)
    E-Mail:watanabe.daimon■peach.plala.or.jp(■=@)
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