2015年3月8日 まだまだ寒し
今日は雨も降っているし、まだまだ寒い。まだまだ春は遠いというところか・・・。週間天気予報を見ると明日も雨で、14日(土)までは最高気温は13度程度のままらしい。
ところで、昨日書いたことであるが、99%くらいの歴史研究者は該当しないのでご安心を。
私の研究分野は、赤松氏、山名氏、宇喜多氏、浦上氏などおおむねの範囲は決まっている。だいたい研究をしている人の多くは、特定の研究の分野に特化している(むろん、さまざまな論文を読んで他分野の状況を把握しているが)。中には、「すごい!」と驚くほど広い分野を手掛けている人もいる。
ただ、一般書を書くなると、私の手掛けている分野で出版しようとすると、よほどのことがない限り困難が伴う(ミネルヴァは別)。となると、読者の関心のあるテーマを勉強して書くことになる。その場合は、改めて史料や著書や論文を読み直し、平易でわかりやすく全体像を解説するとともに、自分の意見も出すように心掛けている。おかげさまで重版になったものもある。ちなみに私は、一般書を何百冊書いても、一切研究業績にならないと考えている。
これに対する研究者の態度は、おおかたは無視である(たまに社交辞令で褒めてくれる人もいるが)。それでいいと思う。そっとしておいてくれたらありがたい。私が一般書を書くのは歴史が好きだし、一般の人が関心を寄せるテーマについて、うまく解説し少しは異なった見解を出すことにより楽しんでいただけたらという思いがある。同時に、生活の糧を得ることになるので、一生懸命書かなくてはならないという事情もある。
ところが、一部にはどうしても私を許せないという研究者がいるらしい。
その理由は、①私が著名人で社会的な認知度が高いこと、②一般書を書いて大もうけしていること、にあるらしい。しかし、どれも大きな誤解で根本的に間違っている。そこで、私のことを盛んに罵倒、誹謗中傷することになる。これがいかに虚しく、卑劣な行為であるかはいうまでもない。
そこで、一番驚くのは、私の本を読んでいないのに、なぜか罵倒、誹謗中傷することである。科学的な根拠に基づいて判断する歴史研究者にもかかわらずだ(誤読や曲解に基づくめちゃくちゃなものもある)。もっとも驚いたのは、私の経歴(職歴・学歴)を取り上げ、盛んに同様の行為を繰り返す輩もいた。差別にもっとも敏感でなくてはならない歴史研究者にもかかわらずだ。また、何の根拠もなく、私を犯人と決め付けられたことは、非常に悲しかった(その後、謝ってくれた人は許す)。
ちなみに私は、専門書や論文はともかくとして、一般書を批判することはほとんど意味がないと考えている。学術雑誌の書評に一般書を取り上げることも同じように思っている。一般向けに書かれているので、詳細な説明や注釈を省くこともあるし、そもそも専門家向けに書かれていないからだ(この説明自体が誤解を受けそうだが、また改めて)。
人が生きていくのには、いろいろな事情がある。生きるということは、つらいことでもある。歴史研究で言えば、誰もが毎日、史料、論文、著書を読み、ひたすら論文を書きたいはずだ。だが、そういう人はほぼ皆無であろう。そうした事情をぜひ汲んでほしいものである(繰り返しになるが、99%の歴史研究者は該当しない)。私にもいろいろと事情がある。
ちなみに「信長本」を刊行したが、それは若い非常勤職の人にいろいろな意味でチャンスになったらと思ったからだ。現に執筆をきっかけにして、講演や研究報告、原稿執筆などで依頼を受けた人も出ている。また、仕事柄で原稿執筆や講演などで人を紹介してほしいということがあるので、非常勤職の人を優先して紹介させていただいている(中間搾取してないからね)。「みんなハッピー」が合言葉である。それだけのことで、一切他意はない。人が喜んでくれたら、それに勝る喜びはない。
ところで、昨日書いたことであるが、99%くらいの歴史研究者は該当しないのでご安心を。
私の研究分野は、赤松氏、山名氏、宇喜多氏、浦上氏などおおむねの範囲は決まっている。だいたい研究をしている人の多くは、特定の研究の分野に特化している(むろん、さまざまな論文を読んで他分野の状況を把握しているが)。中には、「すごい!」と驚くほど広い分野を手掛けている人もいる。
ただ、一般書を書くなると、私の手掛けている分野で出版しようとすると、よほどのことがない限り困難が伴う(ミネルヴァは別)。となると、読者の関心のあるテーマを勉強して書くことになる。その場合は、改めて史料や著書や論文を読み直し、平易でわかりやすく全体像を解説するとともに、自分の意見も出すように心掛けている。おかげさまで重版になったものもある。ちなみに私は、一般書を何百冊書いても、一切研究業績にならないと考えている。
これに対する研究者の態度は、おおかたは無視である(たまに社交辞令で褒めてくれる人もいるが)。それでいいと思う。そっとしておいてくれたらありがたい。私が一般書を書くのは歴史が好きだし、一般の人が関心を寄せるテーマについて、うまく解説し少しは異なった見解を出すことにより楽しんでいただけたらという思いがある。同時に、生活の糧を得ることになるので、一生懸命書かなくてはならないという事情もある。
ところが、一部にはどうしても私を許せないという研究者がいるらしい。
その理由は、①私が著名人で社会的な認知度が高いこと、②一般書を書いて大もうけしていること、にあるらしい。しかし、どれも大きな誤解で根本的に間違っている。そこで、私のことを盛んに罵倒、誹謗中傷することになる。これがいかに虚しく、卑劣な行為であるかはいうまでもない。
そこで、一番驚くのは、私の本を読んでいないのに、なぜか罵倒、誹謗中傷することである。科学的な根拠に基づいて判断する歴史研究者にもかかわらずだ(誤読や曲解に基づくめちゃくちゃなものもある)。もっとも驚いたのは、私の経歴(職歴・学歴)を取り上げ、盛んに同様の行為を繰り返す輩もいた。差別にもっとも敏感でなくてはならない歴史研究者にもかかわらずだ。また、何の根拠もなく、私を犯人と決め付けられたことは、非常に悲しかった(その後、謝ってくれた人は許す)。
ちなみに私は、専門書や論文はともかくとして、一般書を批判することはほとんど意味がないと考えている。学術雑誌の書評に一般書を取り上げることも同じように思っている。一般向けに書かれているので、詳細な説明や注釈を省くこともあるし、そもそも専門家向けに書かれていないからだ(この説明自体が誤解を受けそうだが、また改めて)。
人が生きていくのには、いろいろな事情がある。生きるということは、つらいことでもある。歴史研究で言えば、誰もが毎日、史料、論文、著書を読み、ひたすら論文を書きたいはずだ。だが、そういう人はほぼ皆無であろう。そうした事情をぜひ汲んでほしいものである(繰り返しになるが、99%の歴史研究者は該当しない)。私にもいろいろと事情がある。
ちなみに「信長本」を刊行したが、それは若い非常勤職の人にいろいろな意味でチャンスになったらと思ったからだ。現に執筆をきっかけにして、講演や研究報告、原稿執筆などで依頼を受けた人も出ている。また、仕事柄で原稿執筆や講演などで人を紹介してほしいということがあるので、非常勤職の人を優先して紹介させていただいている(中間搾取してないからね)。「みんなハッピー」が合言葉である。それだけのことで、一切他意はない。人が喜んでくれたら、それに勝る喜びはない。
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