2015年3月11日 大震災
晴れ。まだ寒い。しかし、朝の最低気温は、上昇しつつあるらしい。
今日で東日本大震災から4年が経った。実はどちらかといえば、1995年に発生した阪神・淡路大震災のほうがよく覚えている。不思議なものだ。
阪神・淡路大震災のときは京都に住んでいたが、早朝に下から突き上げるような激しい揺れ方をして大変驚いた(ドカーンという感じ)。少しばかり物が落ちるなどの被害があったものの、さほど大きなものではなかった。その直後、テレビのスイッチを入れると、承知のとおり神戸などは阿鼻叫喚の世界となっていた。もはや地獄絵図である。
急ぎ、当時勤務していた大学に行くと、学生などからの電話がじゃんじゃん鳴っていた。大学に行けないからであり、授業や試験をどうすればよいのかわからないからである。ところが、今でいう「危機管理」はまったくなっておらず、対応は「今から措置を決めるので、あとから電話をかけてきなさい」というものであった。当然、学生諸君は怒る。
その措置を決定するのに、かなり時間がかかったように思う。その間、主要な新聞には各大学が広告を出し、問い合わせ窓口を設置したこと、無事であることを知らせるようにとのこと、授業料は受けた被害によって免除とすることを知らせていた。素早い対応である。なぜか、当時の勤務先は対応が後手に回り、そういうことは一切していなかった。
その後、問い合わせ窓口は設けたものの、対応は決定しておらずお粗末なもので、私も担当したが、怒鳴られる一方でミジメな思いをした(明解に指示をできないので)。とにかく怒号の嵐であり、気が重かった(わかりません。まだ決まっていませんしか言えないし)。窓口に来る学生の中には怒りを抑えきれず、怒鳴りまくる者もいた。それはそうだと思う。
やはり、素早く情報収集し、即座に的確な判断を下すことが重要である。
一方の東日本大震災のときには、三郷市に住んでいた。こちらは、最初に揺れ出すと、徐々に揺れが大きくなり、やがて信じがたいような大きさになった。本もたくさん落ちた。「あー、びっくりした」と思いテレビをつけようとしたが、壊れたのかつかなかった(あとでテレビをつなぐ線が抜けていることに気付いた)。
近所の八百屋さんに行くと、「大変だ!」という感じで、津波と洪水と火事で恐るべき状況になっていた。友人に電話をしようとしたが、もちろんつながらない(あとで少しずつつながった)。外に出ると、多数の車が渋滞しており、翌日にはガソリンスタンドに車の長い行列が出来ていた。多くの歩く人の姿も目に付いた。
葛飾区のほうのスーパーやコンビニでは、食料品や生活の日常品の品切れが目に付いた。しかし、三郷市のほうでは、そうでもなかった印象が残っている。なので、そんなに困ったという記憶はない。その後、テレビの報道で全貌を知ることになり、大変驚くことになる。とにかく悲しくなってしまったが、何もできなかった・・・。
二つの震災では、多くの人々が図らずも命を失った。中には将来に明るい希望を持っていた人も多かっただろう。そう考えると、私みたいな役立たずでも、そうした人々の遺志を継いで、文句ばかり言わずに前向きに努力し、精一杯がんばって生きて行くことが重要なのだろうと思った。合掌。
追伸
17時30分頃、腹が減ったので「ぎょうざの王将 本八幡店」に入店。中華飯が目当てであったが、フェアで麻婆豆腐が安かったので(とはいっても50円だが)、プラスでライス大とともに注文する。麻婆豆腐は量が多くマイルドな辛さで、辛口が好きな人には少し物足りないかもしれない(ラー油を掛けたらいいだろう)。ご飯は以前よりずっとうまくなった印象がある。
ところで、かつて「ぎょうざの王将」は安く、チャーハンなどは400円出せばお釣りが来た。ギョウザも200円しなかったはずだ。しかし、最近はそれら基本メニューに加えて、定食類の高さが目立つ。近隣には激安中華がたくさんあるので、うかうかしていられないはずである。そんな中では、ジャスト・サイズメニュー(少なめの量)は一人飲みのときにはありがたい。今後、安くなる方向で値段改定をお願いしたいところだ。
また、今日はちょっとしたトラブルがあった。私より先にギョウザ定食を注文した男性客がいたのだが、あとで注文した私の麻婆豆腐と大ライスが先に来てしまった。男性客は自分があとになったので激怒し、「キャンセルだ」といって出て行った。実は、ぎょうざは焼くのに案外時間がかかる。しかし、麻婆豆腐はさっと炒めるだけなので早くできる。メニューにより順番が前後するのは仕方がないが、穏やかに行きたいものだ。
今日で東日本大震災から4年が経った。実はどちらかといえば、1995年に発生した阪神・淡路大震災のほうがよく覚えている。不思議なものだ。
阪神・淡路大震災のときは京都に住んでいたが、早朝に下から突き上げるような激しい揺れ方をして大変驚いた(ドカーンという感じ)。少しばかり物が落ちるなどの被害があったものの、さほど大きなものではなかった。その直後、テレビのスイッチを入れると、承知のとおり神戸などは阿鼻叫喚の世界となっていた。もはや地獄絵図である。
急ぎ、当時勤務していた大学に行くと、学生などからの電話がじゃんじゃん鳴っていた。大学に行けないからであり、授業や試験をどうすればよいのかわからないからである。ところが、今でいう「危機管理」はまったくなっておらず、対応は「今から措置を決めるので、あとから電話をかけてきなさい」というものであった。当然、学生諸君は怒る。
その措置を決定するのに、かなり時間がかかったように思う。その間、主要な新聞には各大学が広告を出し、問い合わせ窓口を設置したこと、無事であることを知らせるようにとのこと、授業料は受けた被害によって免除とすることを知らせていた。素早い対応である。なぜか、当時の勤務先は対応が後手に回り、そういうことは一切していなかった。
その後、問い合わせ窓口は設けたものの、対応は決定しておらずお粗末なもので、私も担当したが、怒鳴られる一方でミジメな思いをした(明解に指示をできないので)。とにかく怒号の嵐であり、気が重かった(わかりません。まだ決まっていませんしか言えないし)。窓口に来る学生の中には怒りを抑えきれず、怒鳴りまくる者もいた。それはそうだと思う。
やはり、素早く情報収集し、即座に的確な判断を下すことが重要である。
一方の東日本大震災のときには、三郷市に住んでいた。こちらは、最初に揺れ出すと、徐々に揺れが大きくなり、やがて信じがたいような大きさになった。本もたくさん落ちた。「あー、びっくりした」と思いテレビをつけようとしたが、壊れたのかつかなかった(あとでテレビをつなぐ線が抜けていることに気付いた)。
近所の八百屋さんに行くと、「大変だ!」という感じで、津波と洪水と火事で恐るべき状況になっていた。友人に電話をしようとしたが、もちろんつながらない(あとで少しずつつながった)。外に出ると、多数の車が渋滞しており、翌日にはガソリンスタンドに車の長い行列が出来ていた。多くの歩く人の姿も目に付いた。
葛飾区のほうのスーパーやコンビニでは、食料品や生活の日常品の品切れが目に付いた。しかし、三郷市のほうでは、そうでもなかった印象が残っている。なので、そんなに困ったという記憶はない。その後、テレビの報道で全貌を知ることになり、大変驚くことになる。とにかく悲しくなってしまったが、何もできなかった・・・。
二つの震災では、多くの人々が図らずも命を失った。中には将来に明るい希望を持っていた人も多かっただろう。そう考えると、私みたいな役立たずでも、そうした人々の遺志を継いで、文句ばかり言わずに前向きに努力し、精一杯がんばって生きて行くことが重要なのだろうと思った。合掌。
追伸
17時30分頃、腹が減ったので「ぎょうざの王将 本八幡店」に入店。中華飯が目当てであったが、フェアで麻婆豆腐が安かったので(とはいっても50円だが)、プラスでライス大とともに注文する。麻婆豆腐は量が多くマイルドな辛さで、辛口が好きな人には少し物足りないかもしれない(ラー油を掛けたらいいだろう)。ご飯は以前よりずっとうまくなった印象がある。
ところで、かつて「ぎょうざの王将」は安く、チャーハンなどは400円出せばお釣りが来た。ギョウザも200円しなかったはずだ。しかし、最近はそれら基本メニューに加えて、定食類の高さが目立つ。近隣には激安中華がたくさんあるので、うかうかしていられないはずである。そんな中では、ジャスト・サイズメニュー(少なめの量)は一人飲みのときにはありがたい。今後、安くなる方向で値段改定をお願いしたいところだ。
また、今日はちょっとしたトラブルがあった。私より先にギョウザ定食を注文した男性客がいたのだが、あとで注文した私の麻婆豆腐と大ライスが先に来てしまった。男性客は自分があとになったので激怒し、「キャンセルだ」といって出て行った。実は、ぎょうざは焼くのに案外時間がかかる。しかし、麻婆豆腐はさっと炒めるだけなので早くできる。メニューにより順番が前後するのは仕方がないが、穏やかに行きたいものだ。
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