2015年9月6日 史上最強の50歳⑱
曇り。暑いわけではないが、やや蒸す。
昨日も通常より、やや長めの距離を走った。帰宅後、体重を量ると、瞬間風速で「62kg」台に突入する。久々。その後、自分で料理を作って酒盛り少々。途中で自治会の会合があったのを思い出し、急いで会場へ駆けつける。この件では、いろいろとやることがあり、非常に大変であるが、引き受けたことなのでやるしかない。帰宅後、酒盛りの続きをやるが、例のごとく「元の木阿弥」である。
最近は体脂肪が気になっているので、そうした機能が付いた体重計が欲しい。
史上最強の50歳への道のりは遠い。
ところで、よく本を書いたと大騒ぎすることがあるが、別に出版社から刊行して、流通ルートに乗せるだけが本ではない。高価な費用を払って、きちんとした印刷屋に出す必要もない。それはベストに違いないが。
極端に言えば、全編が手書きで製本していても、立派な本である(巻末に書誌情報はほしい)。国立国会図書館に送れば、きちんと登録してくれる。仮にパソコンが使えるならば、コピーと自家製本により大量に刊行が可能なので、よりよい。要は、体裁にこだわる必要はないということだ。国会図書館へ行けば、そうした本もときおり目にする。
研究雑誌も同じである。こっちも印刷屋に出せば、体裁のよいものが作れるが、無理をする必要はない。上記の手法により、いくらでも作ることができる。たとえば、『○○史学』と銘打ち、短編を毎月のように刊行すれば、すさまじいペースで飛躍的に業績数が増加する。1年で12冊を刊行すれば、5年で60編の論文の刊行が可能だ。
ただ、前にも述べたとおり、短いものを乱発するのは良くない(といわれた)。次に書くときに内容がかぶってしまったり、どうしても全体のまとまりを欠いてしまう(それで完結すならいいが)。やはり、十分に構想を練って、50~70枚程度のまとまりのあるものを書いたほうが良いだろう。プライオリティーをそんなに焦る必要はない。
それで、学位論文を書く人はもとより、そうでない人も論文集を書くイメージで、全体の目次を設定して(各章に何を書き、全何章にするかとか)計画するとよい(と、教えてもらった)。「○○氏の研究」などは、その代表であろう。マズイとはいはないが、どうかなと思うのは、関心が生じたことを闇雲に勉強することである。それはそれで勉強になるのだが、あとになると散漫になって、論文集として出しにくくなる。
「オマエがやれよ!」と言われそうですな。そのとおりですが・・・。若い人が論文を書くときは、よく指導教授と話し合ってくださいね。
追記1 頭の体操
こういうことを仕事にしていると、昔と違って、頭が凝り固まりがちである(私の場合は、「凝る」というより「悪い」)。本は歴史しかも戦国に固まり、幸か不幸か自分なりの考え(大したものではないが)を持っていると、思考も制約を受けやすい。ちなみに年をとっても、脳が衰えるとは言い難く、生活習慣によっては、かえって高まるとも言われている。知らなかったなあ。
一番重要なことは、新しいことにチャレンジすることらしい。たとえば、スポーツなどもそうであるし、本なども違ったジャンルのものを読むと、思考が刺激されるとのこと。歴史の勉強をしている人ならば、政治学、法学、経済学、社会学なんかいいんじゃないでしょうか。また、自然科学なども案外勉強になるし、語学なども良いらしい。この年になると、史学概論の本を読むと、新鮮に感じることが多い。一生勉強ですな。
追記2 あきらめずにやろう
何事もそうであるが、諦めずに頑張ることが肝心である。私も「あー、ダメだ!」ということがたびたびある。前にも書いたが、応援してくれるありがたい人もいるが、蔭で足を引っ張る人も少なくない(誹謗中傷の類)。そういう意味でいうと、「良い仲間」を持つことが重要だと思う。良い仲間とは、別に褒め合うだけの関係ではなく、時に苦言や諫言してくれる人である。
よく「怒られるうちは華」というがそのとおりである。相手から飽きられてしまうと、まったく相手にされなくなり、適当にあしらわれるようになる。なので、人から意見をされたら、無視するのではなく、素直に耳を傾けることが重要だ。
↑ オイラのことだよな・・・。
追記3 なかなか執筆が進まず・・・
アタマが痛い。文字どおり。う~ん、がんばるしかない・・・。
追記4 いちおう終わりましたが・・・
明日、また見直し。ちょっとでもよくなりますように・・・。
昨日も通常より、やや長めの距離を走った。帰宅後、体重を量ると、瞬間風速で「62kg」台に突入する。久々。その後、自分で料理を作って酒盛り少々。途中で自治会の会合があったのを思い出し、急いで会場へ駆けつける。この件では、いろいろとやることがあり、非常に大変であるが、引き受けたことなのでやるしかない。帰宅後、酒盛りの続きをやるが、例のごとく「元の木阿弥」である。
最近は体脂肪が気になっているので、そうした機能が付いた体重計が欲しい。
史上最強の50歳への道のりは遠い。
ところで、よく本を書いたと大騒ぎすることがあるが、別に出版社から刊行して、流通ルートに乗せるだけが本ではない。高価な費用を払って、きちんとした印刷屋に出す必要もない。それはベストに違いないが。
極端に言えば、全編が手書きで製本していても、立派な本である(巻末に書誌情報はほしい)。国立国会図書館に送れば、きちんと登録してくれる。仮にパソコンが使えるならば、コピーと自家製本により大量に刊行が可能なので、よりよい。要は、体裁にこだわる必要はないということだ。国会図書館へ行けば、そうした本もときおり目にする。
研究雑誌も同じである。こっちも印刷屋に出せば、体裁のよいものが作れるが、無理をする必要はない。上記の手法により、いくらでも作ることができる。たとえば、『○○史学』と銘打ち、短編を毎月のように刊行すれば、すさまじいペースで飛躍的に業績数が増加する。1年で12冊を刊行すれば、5年で60編の論文の刊行が可能だ。
ただ、前にも述べたとおり、短いものを乱発するのは良くない(といわれた)。次に書くときに内容がかぶってしまったり、どうしても全体のまとまりを欠いてしまう(それで完結すならいいが)。やはり、十分に構想を練って、50~70枚程度のまとまりのあるものを書いたほうが良いだろう。プライオリティーをそんなに焦る必要はない。
それで、学位論文を書く人はもとより、そうでない人も論文集を書くイメージで、全体の目次を設定して(各章に何を書き、全何章にするかとか)計画するとよい(と、教えてもらった)。「○○氏の研究」などは、その代表であろう。マズイとはいはないが、どうかなと思うのは、関心が生じたことを闇雲に勉強することである。それはそれで勉強になるのだが、あとになると散漫になって、論文集として出しにくくなる。
「オマエがやれよ!」と言われそうですな。そのとおりですが・・・。若い人が論文を書くときは、よく指導教授と話し合ってくださいね。
追記1 頭の体操
こういうことを仕事にしていると、昔と違って、頭が凝り固まりがちである(私の場合は、「凝る」というより「悪い」)。本は歴史しかも戦国に固まり、幸か不幸か自分なりの考え(大したものではないが)を持っていると、思考も制約を受けやすい。ちなみに年をとっても、脳が衰えるとは言い難く、生活習慣によっては、かえって高まるとも言われている。知らなかったなあ。
一番重要なことは、新しいことにチャレンジすることらしい。たとえば、スポーツなどもそうであるし、本なども違ったジャンルのものを読むと、思考が刺激されるとのこと。歴史の勉強をしている人ならば、政治学、法学、経済学、社会学なんかいいんじゃないでしょうか。また、自然科学なども案外勉強になるし、語学なども良いらしい。この年になると、史学概論の本を読むと、新鮮に感じることが多い。一生勉強ですな。
追記2 あきらめずにやろう
何事もそうであるが、諦めずに頑張ることが肝心である。私も「あー、ダメだ!」ということがたびたびある。前にも書いたが、応援してくれるありがたい人もいるが、蔭で足を引っ張る人も少なくない(誹謗中傷の類)。そういう意味でいうと、「良い仲間」を持つことが重要だと思う。良い仲間とは、別に褒め合うだけの関係ではなく、時に苦言や諫言してくれる人である。
よく「怒られるうちは華」というがそのとおりである。相手から飽きられてしまうと、まったく相手にされなくなり、適当にあしらわれるようになる。なので、人から意見をされたら、無視するのではなく、素直に耳を傾けることが重要だ。
↑ オイラのことだよな・・・。
追記3 なかなか執筆が進まず・・・
アタマが痛い。文字どおり。う~ん、がんばるしかない・・・。
追記4 いちおう終わりましたが・・・
明日、また見直し。ちょっとでもよくなりますように・・・。
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